オリビア・ローゼンクランツ インタビュー 1

タパージのメンバーであり、「Dansaq」の中心メンバーの一人でもあるオリビア・ローゼンクランツ。

多忙を極める彼女ですが、メールによるインタビューに快く応じてくださいました。

複数回にわたって、Dansaq、そしてTAPにかける思いをうかがっていきます。

 


―――まず、タップを始めることになったきっかけを教えていただけますか?

故郷フランスでは、子どものころから、私は両親が主宰する若いアーティストグループの一員でした。
父は作詞家であり、Theatre Expression Musique (TEM)というグループの監督でもありました。
TEMのショーは、肉声、音楽、身体運動、そしてマルチメディアが一体となったものでした。
私は、歌手として、またポエトリーダーとして、そのショーでパフォーマンスを行っていたのです。

私はすべての芸能形式に好奇心を抱いており、友だちにタップのクラスに連れて行かれました。
そして、音楽とダンスが共存するタップダンスに、すぐに惹きつけられたのです。

タップは、私が学んだ最初のダンスでした。
その後、アフロ・ブラジリアンとコンテンポラリダンスを学び始めました。


―――その後、アメリカに行かれるわけですね。どうして渡米しようと思われたので すか?

10代の終わりまでに多くの舞台を経験した後、私は、もっと声楽や、興味のあったダンスを追求したくなったのです。
しかし、当時のフランスは、パリでさえ、そのような異なるスタイルのプロレベルのレッスンを、すぐに受けられる環境ではありませんでした。
対照的にアメリカでは、ブロードウェイ・ミュージカル文化が根付いていたため、パフォーマーたちは、歌、芝居、そして全てのタイプのダンスを自然に学んで いたのです。
ニューヨークには、毎日クラスを開催している学校、そしてレベルの高い定期公演が多くありました。
そこで6ヶ月勉強することは、フランスで数年学ぶのと同じくらい価値があるだろうと思えたのです。
私が学んでいるときは、映画で見たことのあるアメリカン・タップのマスターの殆どの方たち(グレゴリー・ハインズ、バスター・ブラウン、ジミー・スライ ド、ハニー・コールズなど・・・)はニューヨークで教鞭を執り、パフォーマンスを行っていました。
そして、マレー・ルイスとアルビン・ニコライ(モダンダンスのマスターたち)も学校を持ち、そこで教えていました。
そういったこともあって、アメリカへ行くことを決意したのです。


―――アメリカン・タップダンス・オーケストラ(ATDO)に入団されたのはどう いった経緯だったのでしょう?

私はこのタップカンパニーの公演を見て、ブレンダ・バッファリーノのリズムと表現が本当に好きになりました。
私と真理は二人ともタップのクラスをニューヨークでとっており、率直にカンパニーのオーディションに行ったのです。
その結果、私たちは、ジョイスシアターで行われるカンパニーの連続公演のための6人のダンサーに選ばれました。
この後、私は多くの年月を、カンパニーのボーカリスト兼ダンサーとして過ごすことになりました。


―――あなたはタップダンスのみならず、様々なダンス・音楽・リズムの技能と知識 をお持ちです。今までに学んできたダンスや音楽を教えて頂けませんか?また、始められたきっかけは何でしょう?

バレエ、ジャズ、コンテンポラリ、タップ、ウエストアフリカン、ハイチ、アフロ・ブラジリアンを中心に学んできました。何種類かのフラメンコ、舞踏、ガンブーツ、ベリーダンスも熱心に勉強しましたね。
幸運なことに、私は何年にもわたって、多くのアーティストたちと一緒にパフォーマンスを行うことができました。ジャズ・ミュージシャン、北インドのミュー ジ シャンとカサック・ダンサーたち、ブラジル、アフリカ、日本、ラテンアメリカの伝統音楽のミュージシャン、クラシックミュージシャン、俳優、歌手・・・音 楽の勉強と、インスピレーションのほとんどは、異なる文化を持ったアーティストたちと、クリエイティブな仕事を共有する瞬間に得られるものです。



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